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リテイク地獄
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2009.06.18 Thursday 22:14僕にも強靭な心が必要だ。

(古谷実『グリーンヒル』第3巻)
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猛省中
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2009.06.12 Friday 23:23昨日のエントリ、さすがにわけわからんと思って消そうかと思ったのだが、うれしいことにコメがついたので残すことにする。
さて、今日は反省しっきりの一日だった。
今日は昨日の自分のミス、しかもものすごく単純なミスを直して時間が過ぎていった。
全部終わったのが16時。
やっとやりたかった作業に入ろうと、ふとメールを見ると、ミスのせいでできなかった仕事の催促が来ていてまたへこむ。
帰りが一緒になった人事の先輩に話すと、「でも、もう次から間違えないでしょ」と慰められた。
なぜベストを尽くさないのか、と阿部寛が叫んでいる。
明日は同期と飲むことになった。
楽しみだ。 -
「よう」の字が変換されない
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2009.06.11 Thursday 20:07いろいろ書きたいことがあったがどうも筆、というか指が進まない。
いま思い出せて、書きたいと思っていたことのうちで一番古いのが、今日の投稿だ。
さて、先月の『世界』は象徴天皇制という硬いテーマだった。
だいたい世界なんて読んでいるのは、建前的には「政治経済をはじめとした、現代的な事柄に対する見識を持ちたい」ということにしているけれど、それは半分。本当は知識人を気取りたいアクセサリーみたいなものだ。しかし、アクセサリーがアクセサリーとして認識されないので、あまり意味がない。所詮自己満足。
それはさておき、先月号に掲載された森よう平「島宇宙を漂流する『象徴』」という論文について書きたいと思っていた。思っていたのは二週間ほど前なので、だんだんと情熱も、言いたかったことも薄れていく。
以下は愚痴。ちなみにこうして逃げ道を作る自分が嫌いだ。(括弧内はページ数)
内容は、大きな物語が失われた今、人々は島のような小さなコミュニティに属しており、そのような社会の中では天皇は象徴として機能し得ない、というものだ。
そのために、ラノベ、ニコ動、2chが引用される。
これら反映された天皇(家)への反応はさまざまであり、一見相反するが、それらは結局、「集団的記憶」が共有されず、「全体性」が存在しないこと、つまり天皇が象徴たりえないことを反映している、ということらしい。
どこかで耳にしたことがある話を、天皇制に当てはめただけ、という感じですごくつまらない。
なぜ、天皇を扱うのか、ということが見えてこない。それとも、天皇ですら、この枠組みの中で語られてしまう、ということだろうか。この現代では「『国民的』なスタア」(172)が出現しにくい、とも言われているので、おそらく後者だろう。だから、とてもつまらないものだった。天皇の特異性みたいなものを論じてくれれば、面白かったのに。僕は特異性がなんなのかなんて、知らないけれど。
「歴史的に見てみよう」(170)と言って、天皇の古名はスメラミコトで、それで和辻はこんなことを言っているんだよ、という大雑把な議論や、ほら、一家の写真を見ると、皇太子夫妻と秋篠宮夫妻が皇位をめぐって争っているように見えるでしょう、みたいな印象論も疑問に思うが、なにより鼻についたのは(繰り返すが、この文章は、愚痴だ)、言葉遣いだ。
たとえば、『女皇の帝国』の主人公や「ナウシカ」は「『無根拠の私』である男性(読者)にとって絶対的な存在、”私”に恩寵を与えてくれる女神である」((168)なんて、読者に理解してほしいと思っているのだろうか。
何度か出てくる「超越者の審級」(175ほか)とか、なんのこっちゃ。わかったような、わからないような。ほかにもいろいろあるんだけど、こういう現代思想風な言葉遣いは、「わからないお前が悪い」と言われているような気がして腹が立つ。
そう、腹が立ったから、この論文について書きたいと思ったのだ。
以上、まとまらなかった。
興味のある人は、どうぞご一読あれ。 -
宴
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2009.05.12 Tuesday 22:41土曜。
高校(全体)の同窓会があった。
一次会は代官山、二次会は渋谷だった。
幹事兼DJの友人は、すごいな。
前回も渋谷のクラブだったし、どうしてこんなお店を知っているのだろう。
どちらも素敵なお店だった。
何人かは学生だったけど、みんなもう社会人。
僕から見れば先輩だ。
話を聞くのは楽しかった。
ところで、よく言う話だけど、女性は変わるね。
男はあんまり変化なかったようだけど、女性は結構わからなかった。
高1のときバンドを組んだ人の名前が出てこなかった。
さすがに気まずくなった。いやでも、変わりすぎでしょう。
日曜。
茨城まで友人に会いに行った。
朝一で少し眠かった。
昼間から囲んでお酒を飲んだ。
楽しかった。
茨城から帰ってきて、友人と食事。
かなりぶっちゃけた話ができた。
また話を聞いてもらおう。
今日。
突然、副社長室で飲むことになった。
大人のコミュニケーションの仕方を観察。
日本酒と塩辛がおいしかった。
きっと顔は真っ赤だっただろう。 -
働いてみて
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2009.05.09 Saturday 10:53昨日は帰ってきてすぐ寝てしまった。
緊張で疲れていたらしい。
GW明け、配属後の二日間。
一日目はコピーとファイリングで終わった。
あんなに長時間コピーをしていたのは初めてだと思う。
4時間は、やり続けた。
2日目の昨日は、雑務を除いて、一日中資料を読んでいた。
難しかったが、新しいことばかりで楽しい。
しかし実際の業務がまだ見えてこない。。
とりあえず、早くも反省する点がいくつもある(姿勢面で)ので、来週は直していきたい。
さて、今日は高校の同窓会がある。
何してるの?と聞かれたら、ん、コピー、と答えよう。 -
be happy
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2009.05.06 Wednesday 22:52友人が結婚した。
もう一年半近く前くらいのことだが、報告があったときには本当に驚いた。
きょどって研究室の友人に伝えたことを覚えている。
なぜなら、だんなさんの名前に「子」をつけると嫁の親友(=僕も友人)の名前になるからだ。
はじめは何かの冗談か、性転換かなにかかと、まじめに考えた。
さて、その友人の結婚式が昨日行われた。
僕は式には参加せず、二次会、三次会のみの参加だったが、幸せそうな二人を見れて本当にうれしかった。
二人が出会ったレストランでのパーティ。
声楽科出身の彼女の歌声も披露された。
一番の盛り上がりは、やはり二人のキスだった。
初めてだんなさんに会ったとき、「僕じゃ聞けない悩みがあると思うんです。だから、これからもご友人の方々は彼女のことを助けてやってください」というようなことを言われた。
いい人と結婚したな、と思った。(若干上から目線なのは勘弁)
月並みだが、末永くずっと幸せであってほしい。
たくさん子供をつくると言っていたので、とても楽しみだ。
さて、次は誰が結婚するだろうか。
彼女と僕(ら)は中学時代から「すべり台愛好会」というグループで遊んでいた。
なんとも不思議なネーミングで、昨日も「なにそれ?」と疑問の声が上がっていた。
別にすべり台を滑るわけでもなく、中学時代はよく僕の家で、料理をして騒いでいた。クリスマスパーティもした。
卒業後も半年に一度くらいは集まって遊んでいた。
最近は少し疎遠になっていたけど、昨日久しぶりに会って、やはりこのメンバーはいいな、と思った。
夏に集まる約束をした。また、結婚式のたびにみんなで集まれるのも、いまから楽しみでならない。
ビンゴの景品の抱き枕。
でかい。
一等の副賞でいただきました。
ちなみに一等賞はWiiでした。
ほしかったなぁw -
想定外
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2009.05.01 Friday 11:21

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遠足
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2009.04.06 Monday 23:00知人に誘われてハトバス貸切で遠足に行った。
その写真。ケータイの電池がなく、ほとんど撮れなく残念だった。

水元公園。
とても綺麗なところだった。
弁当をゆっくりと食べたので散策できず。

中山競馬場。
初競馬。1900円投資で2550円バック。
やったね。

浅草。
花やしきに行った。
意外と行ったら失礼だが、楽しめた。
一人で乗ったアトラクションの寂しさは異常。
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活字についての覚書
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2009.04.04 Saturday 20:16昨日考えたことを書く。
以下「そうだ」や「だろう」という表現が多いのは思いつきに過ぎないからだ。
(と、逃げ道を作っておく。反論は認めます)
***
活字は必要か。
僕自身は、わりと本や新聞を読むほうだ。
だから、活字は好きだし、なくなって欲しくない。
しかし、よく言われているように、活字離れが進んでいるらしい。
特に統計を見たわけではないので、実は違うかも知れないが、一般的にそう言われていると思う。
出版社や新聞社は売り上げが落ちている。
そこで活字離れを嘆く人がいる。
そのような人は往々にしてウェブと対比し、活字の重要性を訴える。
いわく、ウェブは嘘が多い。
いわく、長文を読むのには適さない。
だが本当に活字は必要だろうか。
嘘、ということに関していえば、それはウェブという誰でも簡単にアクセス、発信できる環境では増えることは予想できるし、しかも、別に誤った情報はウェブに限られるものではない。長文云々は、僕自身も苦手であるが、これは慣れの問題であるように思う。
さらに、これは完全に直感であるが、一般に活字離れを嘆き、読書を勧める人々は、活字、と言ってもあるジャンルを想定しているように思われる。
つまり、彼らが活字といった時指しているのは、おそらく、実用書やましてやライトノベルなどではなく、「文学」と呼ばれるものであるように思われる。
活字を重要と言う者は、活字メディアという物質的な形式を称揚する以上に、ある種の「教養」を志向しているように思われる。
その比喩として活字が使われているように思う。
だが、活字の重要性と文学の重要性は別の問題であるだろう。
さらに言えば、たとえば芥川を読むとき、新潮文庫で読もうと、青空文庫で読もうと、その内容には差はない。活字で読もうとディスプレイで読もうと、内用が同じである以上貴賤はない。
少なくとも私の電気機器の環境では、圧倒的に活字=本で読むほうが、便利である。気になったページを折り、付箋を貼り、あるいはマーカーを引く、といった作業をすることは、本以外では不可能である。僕によって、活字メディアは重要だ。
しかし、これは技術の問題であり、もしかしたらすでにDSやipodtouchで可能なものであるかもしれない(持っていないのでわからない)。あるいは、今後可能となるだろう。
そのとき、活字は必要となるだろうか。 -
最後の日に
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2009.03.26 Thursday 23:13

遅ればせながら、修士課程を修了しました。
これも皆様のおかげです。感謝。
ブログを書くのはいつ以来だろうか。
少なくともここに書き込むのは1年ぶり以上だろう。
明日、入社式がある。学生最後の日に、ブログを再開しようと思う。
いつまで続くかわからない。ただ、出来る限り続けたい。
二人の友人が似たテーマについて書いていた。
しこしこ日記
「引越しとは、大学とは」
修論突破の序章
「大学のレゾンデートル」
互いに若干の違いがあるものの、同じ内容について意見表明している。
とりわけ後者のタイトルから予測できるように、「社会においてまったく役に立たない大学、学問に意味、価値はあるのか」というものだ。しこしこは、「楽しければいい」と述べ、序章は「資本主義経済から離れ、自由であることによって面白さがわかる」と結論付ける。
私もこれらの意見に賛成である。「税金が使われているんだから、役に立つことを研究しろ」という主張がわからないわけではないし、これに対して有効な反論が用意できているわけではない。それでも、存在意義があると思う。
信念がベースにあることがつらい。
大学院まで学んで答えられない。
しかし、やはり研究には前提として快楽があり、そしてそれは数値化可能な基準で測る類のものではないと思う。
ところで、彼らも私も、哲学という分野を研究してきた。いかに役に立たなそうか、研究について書いてみよう。
哲学研究というのは、一般的に考えられている真理探究の道ではないし、あるいはもちろん人生の指針を提供するものでもない。
その作業は(主として外国語で書かれた)テクストを丹念に読み、同時に先行研究を踏まえ、新しい解釈、思想史における意義を展開するものである。「いままで〜と考えられていたが、実は〜なのである」のように、ある思想家の位置づけや、内実を解明していく作業である。
それがたとえ一般的な概念を扱っていたとしても、この研究は普遍的な解答を提供するものではなく、個別具体的、誰々における、という枕言葉がつくことが普通である。
これになんの意味があるのか。アクチュアリティ、古典哲学者の現代における有用性をいくら述べたとしても、それは机上の空論だろう。
このような研究に存在する価値があるのか。研究者には、快楽という価値があるだろう。
では、研究しないものにとっては。
おそらく、研究内容を享受するものには、応用する力、適用する力が重要であり、それが研究の価値となると思われる。いくら研究自体、あるいは大学で学んだこと自体が役に立たなくとも、その研究が提供する観点、論点、論理展開、それはきっと役に立ち、意味があるものとなるはずだ。
結局、研究それ自体の価値、非学の価値はわからないままだ。
だが、きっと意味がある、そう信じて働いていこうと思う。 - ←back 1/1 pages next→